働きたい時に働き、
休みたい時に休み、
好きな場所でストレスフリーに、
旅をするように自由がある生活に興味はありませんか?
こんにちは、ゆーこです。
RemowaBlogを読んでくださり、ありがとうございます。
正社員として働き続けた私が、海外に住みながらフリーランスとしてリモートワークで稼げるようになり、これまで縛られながら仕事をしてきた制約のある生活スタイルから脱却できるようになりました。現在はオーストラリアに住んでいて、1年に1回、数か月日本に戻る生活をしています。
毎日6時間程度働いて、月25万円程度の収入です。
決して多くはないし、大きな声を出してお伝えする金額でもない。しかし、25万円あれば一定の生活は可能です。たまに贅沢するくらいが、ちょうどいいと思っています。
私はモノを買う自由より、好きな時にどこにでも行けて、場所を選ばない働き方ができる「自由」を何よりも大事にしています。
なぜ、もともと正社員としてがっつり働いてきた私が、当時は思いもしなかったフリーランスという働き方を選んだのか。
ここでは、私の生き方そのものを変えた「出来事」をあなたにお伝えしたいと思います。
1.高校時代:オーストラリアへホームステイ体験をする
高校2年の時に、オーストラリアのケアンズに3週間ホームステイをしました。
ケアンズの郊外にある高床式の一軒家で、犬が5匹、外には馬、豚、クジャクがいるようなアニマル好きの家庭でした。トランポリンもあって、日本では目にしないような家族の光景です。
初めて、自分がいる環境とは全く違う生活スタイルを持つ人々がいるということを肌で感じた経験でした。
2.大学時代:憧れていたアメリカの大学へ短期留学。父のことが苦手で家には居たくなかった頃
オーストラリアのホームステイ経験を経て、グッと海外への興味が沸き、英語を学んでグローバルに働きたいという夢が出来ました。
大学は外語大学へ進み、海外の大学並みに厳しいスケジュールの中、必死に課題をこなす毎日。平日夜や土日は、バイトをしてお金を貯めていました。夏期講習として、アメリカのアーバイン大学に1.5か月留学をするためです。
大学3年生で夢が叶い、同じようにアーバイン大学に留学してきている日本人、韓国人、台湾人と生活を共にしました。
初めての寮生活。実家暮らしをしていた私は、自分でご飯を準備することもままならないような状況でした。それでも、文化などバックグラウンドが違う友達と一緒に生活する楽しさを味わいます。
大学&バイト漬けな毎日で、家にはほとんど居ませんでした。お金を貯める目的があったのですが、父のことが苦手で顔を合わせたくなかったという理由もあります。
私の両親は折り合いが悪く、離婚まではいかなかったものの、居心地がよいものではなかったです。父が母に、一方的に怒鳴る姿を見てきました。
だからか、家にいて過ごすという習慣があまりなく、常に外に居るような生活だったのです。
3.大学卒業後:新卒を蹴って、海外ホテルインターンシップに参加
大学卒業後は、航空系会社に就職したいと考え、一度は就活をしましたが志望会社は全滅。友達がどんどん内定をとっていく中「どうしたものか、、、」と、モヤモヤする日々。
私がやりたいことは何か?
この答えを探していきついた先は、「海外で仕事する」という漠然とした答えでした。そこで、その夢が確実に叶うであろう、海外のホテルインターンシップに参加することを決めます。
行先はタイのプーケット。5つ星のリゾートホテルに1年間ホテルスタッフとして勤務しました。
新卒を蹴ってインターンシップに参加する友達は、周りに1人もいません。新卒で会社に就職するというのが王道であり、自分もそうするだとうと思っていました。
しかし就活がうまくいかず、自分がどのように過ごしたいのか?と本気で考えた時、私は周りの友達とは違っていました。そして、自分の思いに従って行動しました。
4.就職時代:ホテルマン→秘書として社畜
海外インターンシップから帰国後、日系のホテルに就職をします。
有休も取らず、日勤夜勤を繰り返す日々。体力的・精神的にも辛いときはあったけど、5年ほどホテルマンとして働きました。
その後、不動産企業の秘書へ転職。理由は、9時5時のOLみたいな働き方をしたかったから。実家を出て、1人暮らしもはじめました。
しかし3年働いて、リーダーという管理職に付くと状況が一変します。
9時5時のライフスタイルから、朝は8時前出勤~夜21時、ひどいときは終電までの残業ばかりな毎日。
責任も増え、統括マネージャーからの風当たりも強くなり、ストレスも人生で一番多く抱えてました。ストレスのせいで痩せこけてしまい、家族や友人から心配されるほどに、、、
そんな毎日に感じていたことは、
「今、しっかり休みを取りたいけどできない」
「窓もないオフィスに缶詰になって、息がつまる」
こんな感じで、自分の人生を思う様に動かすことができないストレスを感じていました。
5.突然襲った父の病気。働き方について真剣に考える
リーダー職に翻弄されながら毎日ギリギリのところで生活する中、母から一報が届きます。
「お父さんが若年性アルツハイマーの診断を受けた。これから状況は更に悪くなるから、覚悟してほしい」
父は当時58歳。数年前から脚を引きずって歩くようになり、さらに怒りっぽくなり、物忘れは日常茶飯事でした。
若年性アルツハイマーと診断されてから、父は少し早めに定年退職しました。NTTデータという大手企業で30年以上働いてきた父。
父に対して苦手意識はあるものの、仕事に対する姿勢だけは尊敬していました。
そんな父が仕事を辞め、家にずっといることが増えると、更にボケがひどくなりました。
- 服を着たまま急にシャワーを浴びだす
- 解凍中のアジ(魚)を生のまま食べだす
- ご近所さんにいきなり暴言をはいて喧嘩になる
例を上げたらきりがありませんが、母から「こんなことがあった」と連絡を毎日受けるようになります。
そしてある日、癲癇(てんかん)がおこり、父は一切歩くことが出来なくなりました。
看護師として働いていた母は、父を在宅介護することを決めます。毎日休むことなく、大柄な父の介護を続ける母を見て、私は胸が痛くなりました。
ある日、実家に帰ると、ひと周り痩せた母がいました。ヘルパーさんの力は借りているけど、食事や下の世話までほぼ1人でやってきた母。
この状況を見て、
「私も実家に戻って介護を手伝う」という決心をしました。
結局、リーダーとして働いてきた仕事と介護を両立することは、私には無理だと思い、秘書の仕事を辞めました。
仕事を一切しないわけにもいかないので、自宅からチャリで10分程度の市役所で時短で働ける仕事を見つけ、派遣の仕事⇔介護の毎日を過ごします。
当時私は33歳。
周りの友達は、キャリアに邁進していたり、結婚して子供を持っていたり、キラキラした生活を送っている中、私は父のおむつを変えて、食事を与える。
当然、この歳で両親の介護を経験している人はおらず、孤独感を感じる毎日。
仕事も書類をPDFにするだけの仕事で、全くやりがいを感じることはできない。
介護を手伝うことを自分で決めましたが、やはり現実のギャップは相当なものでした。
「時短でも、自分の経験が活かせる仕事に就きたい」
「在宅で、自分がやりたい仕事に就ければ良いのに」
こんなことを考えながら、毎日を過ごしていました。
6.海外移住してフリーランスとなる
その後、父は63歳で亡くなりました。
落ち着いた頃、当時お付き合いをしていた彼と国際結婚をして、オーストラリアに移住しました。
移住してまもなく、コロナ禍になります。
移民してきたばかりで仕事も見つからず、毎日転職サイトを見ているだけ。住む環境が変われば、仕事も新たに探さないといけない。
これまで自分の人生に起こったイベントを振り返ったとき、
「PC1つでリモートワークが出来れば、住む環境が変わったって問題ない」
こう思う様になりました。
それから、クラウドソーシングを使って、仕事を始めます。
最初は簡単なタスクから始めて徐々に実績を積んで、今では合計3社と業務委託を結び、1日5~6時間働き安定して25万稼げるようになりました。
7. Remowa Blogで伝えたいこと
「介護や子育てがあって、働きにでることができない」
「会社に縛られることなく、自由に旅をするように働きたい」
「海外に住んでいても、フリーランスとしてPC1つで収入が稼げるようになりたい」
こう思っているあなたに、Remowa Blogを読んで欲しいと思います。
- リモートワークの始め方やTIPS
- 海外移住の知識やリアル
これらを主に発信していきます。
私は、その時々のライフステージで、柔軟にワークスタイルを変えられる自由を持ちながら、今の人生を楽しみたいと思っています。
あなたも是非、リモートワークにチャレンジしてみませんか?